2012年3月8日木曜日

宮沢賢治、先生お元気でしたか―。


宮沢賢治というお人。

先生。

小学校の頃、教科書で習った‘やまなし‘でいっぺんに好きになった。

‘オツベルと像‘はちょっと怖かった。

‘どんぐりと山猫‘はなんだか感心した。

小さな頃は、なんというか、

先生の、言葉の表現がおもしろいなぁ、という感じでお好きになった。


賢治先生に、会いたくて、大人になって

岩手県は花巻にも行った。

18切符でのろのろ京都から岩手へ、賢治先生の愛した大沢温泉に泊まり、

記念館にいったり、チャリでうろうろしたり、イーハトーブを感じた。

(大沢温泉の自炊部は最高に面白い。)


雨ニモマケズ。

ときどき、ふと脳みそを横切るくらい好きな詩であります。


賢治先生が、生きているときに出版された本は少なく、

しかも自費出版だったりなんだけど、

今日、展示を見に行ったら、今は沢山の絵本になっていて、

同じ絵本でもいろんな絵があって、

あぁ、先生、先生のお話はこんなに素敵な絵本になってるよー、

とか、思いながら見回りました。


彼はサイエンチスト、のほうが自分を表すものとおもってらっしゃたそうで、

文学はさておいて、ただ、自分たちも自然現象のひとつなのだ、

ということを、伝えたかった、それらを表現する手段だったとかなんとか。


注文の多い料理店の童話集の序章がすごく好きで。

これはねー、読んでると本当に気持ちがほっこりなる。

それから、泣きそうにもなる、

あたりまえのことを、こんなふうに表現するのか、

言葉ってなんてきれいなんだろう、

とつくづく思う。

機会があれば、ぜひ、読んで頂きたい。


今日の展示で、‘百姓は、芸術家であらねばいけない‘というような

言葉を読んで、先生らしいなぁ。と思った。


雨ニモマケズ、は先生が亡くなってから、見つかった手帳に書いてあったのだけど、

そのエピソードが展示場に、手帳とともに展示してあって、

隣りには、棟方志功の版画の雨ニモマケズ、があって、

読んでたら、その情景が頭の中にばーっと浮かんで、

不思議な気持ちになった。


高村光太郎の、←このお方も好きっす。雨ニモマケズの書もあったりと、

なんか迫力あるものから、絵本の原画展も満載で、

原画見ながら、童話を脳みそに手繰り寄せた。

1人で見に行ってたので、二周くらいまわってみた。満足。


ほんとうの幸せ。

ってのも、先生いってたなー、うんうん。

童話集、読み返そう。

宮沢賢治というお人、

今も、学校で習うかな。


ずっと、読み語られて欲しいな。

考えることはたくさんある、シンプルだったり、

とてつもなく深かったり、ときどき深すぎて悲しくなったり、ドキッとしたり、

優しかったり、ユーモアにあふれていたり、ただ単純に生きてるということだったり、

それから、とにかく、言葉の表現にふはー、っとなる。

賢治先生が亡くなられて、80年近くたつんだとか。

素晴らしい作品は、生き続けるんだなー。

ぜひ、この機会に、大丸京都ミュージアムに行ってみてほしいなぁ。


きっと、何個かは習ってるであろう童話もあるんじゃなかろうでしょうか?

大人になって、読むと、また違った発見があるかもよ。

どうでしょう、なんで私こんなに好きなんだろう、

と、いうお方のお一人です。

そんな感じで、今からちょっくら読書しましょかねー。


やっぱり、‘カイロ団長‘でしょう。

これ、ほんとに好き!!!!

舶来ウェスケー、キーイキーイ、クワァ、ううい。

どっててどっててどっててど、

ぐららぁがぁぐららぁがぁ、

どっどどどどうど、どどうどどどう。

とかねー。では、これにて失礼致し候。